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毎日は書けないだろうけど書けたら書こうと思います。備忘録としてとか言い訳しないのが目標です。

野球と好きと

野球が好きである。

 

ちゃんとルールを認識したのはパワプロくんをやり始めた小学五年生から。

それまでは球場で試合を見るもののホームランにしか興味がなかった。ホームランしか知らなかったからだ。

 

ともかくそのくらいから現在まで野球が好きである。中学の時は土日にクラブという名の草野球をやってた。ほぼ負けてばっかりだったが自分が上手くなるのがわかるので楽しかった。成果が目に見えると嬉しいものである。

 

なんで楽しいのか、好きなのか自分では気付き辛いので野球が嫌いな人の観点から考えてみた。

 

野球が嫌いな理由としてルールがよくわからない、制約が多い、待ち時間が長い、速い球を投げて何が偉いかわからないなどなど挙げられる。

たしかに野球はルールがわかりづらい。色んな局面に合わせてそれぞれ細かい規定がある。バッターの場合やランナーの場合、守備についている場合と様々だ。よくここまで局面を想定してルールを作ったものだと感心するほどである。

 

当然ながらルールがわかりづらいから好きなのではなく、限られた中でプレイする面白さがあるから好きなのだと思う。色んな人が関わって、色んな場面で色んな制約があって…と考えて行くといつも暮らしてる社会と何ら変わらない。野球は社会の縮図なのかもしれない。

 

ずるい。よく言えば賢いプレイも様々だ。

ランナー1、2塁の場面で3塁がフォースアウトになるためサードは塁をあけられない。なのでサードの前にセーフティバントをするだとか。つまり何がずるいかといえばこの状況ではサードは動けない状態でボールを処理することを求められるということである。

 

これは攻撃側の話だが守備にだってトリックプレイはある。騙す、意表つくといった卑怯なやり口も野球では受け入れられる。敵対したチームがそれぞれの思惑で勝利に向かって色々なことを画策するのだ。ただでさえ制約のあるゲームであるのに参加者の心理的影響も受けやすいというなんともしがらみが多く、勝敗の結果がつきづらいスポーツであると思う。

 

これに加え選手も個性豊かで全てのことに秀でている人もいれば一芸がある人もいる。また雰囲気を盛り上げるなど数字に表れないところで貢献している選手もいる。その人の何十倍努力しても追いつけないような才能の持ち主もいる。不公平だ!と叫びたくなるがそれでも野球をやるということはそんな人が相手でも全く敵わないわけではないということだ。完璧な人間はいないなんて野球に限った話ではない。

 

だからサッカーのようにジャイアントキリングなんて大それた言葉は野球には存在しない。昔からそういったゲームが当たり前にあるからだと思う。

たしかに最近の高校野球をみていると明らかな戦力差があるような試合もある。コールドなんてルールもあるがなんで7点差や10点差まで適用されないかといえば勝てる可能性がお互いにあると考えられているからだ。

 

試合が始まる前はみんな平等だ。始まってからどうプランを立てて実行していくかが大事なのである。野球は人生だ!なんてことは腐っても言いたくないが、1番人間臭いスポーツだと思う。

何が言いたいのかというと野球が好きな人はおそらく人間が好きなのである。

 

私もその1人であるはずなのだがどうなんだろう。自覚はないが人間が好きですってなんだか気持ち悪い。好きという気持ちは自分には当てられないのかもしれない。磁石の同じ極同士のような。自分が好きって人は自分が好きな自分が好きなのだと思う。一個離れて俯瞰で見ている。自分で作り出したキャラクターを愛しているような感じがある。直接自分という人間を好きになれる人っていないんじゃないのかなぁ。

 

まぁともかく私が野球が好きな理由とおっさんが野球で例えることが多いのはそういうことだ。