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毎日は書けないだろうけど書けたら書こうと思います。備忘録としてとか言い訳しないのが目標です。

あぁ!

私は馬鹿である。

 

情報処理能力に欠け、融通も利かず、愛想笑いもできず、無表情で怖がられ、後先考えず行動し失敗する。

 

怖がられることと馬鹿な関係がないように思うかもしれないが怖がられるとはコミュニケーションをとるに当たって明らかな障害だ。

 

しかも怖がられてることは本人にはわからない。仲良くなって後から聞くか、回り回って他から聞く以外方法がない。

 

無意識に人を威圧してるのか、先天的な造形に畏怖を感じるのかは知らないが怖がられるのは馬鹿が関係する現象であると思う。

 

不良だのヤンキーだのもそうだ。「こいついい奴なんだぜ実は」と言われても「実は」という文言には「見た目から想像できないが思ったより優しい」という意味が凝縮されている。

 

要は人と関われない、又は関わるのが下手な人が馬鹿の定義だと思う。

 

友達が多い人は何歳になってもすごい。

どういうつながりで?どういう環境で?どんなきっかけで?そもそも最初なんて話しかけたの?このSNS普及の時代で内向的な人が増えたのにどうやって仲良くなれたの?なんで?なんで?コミュ力というものに全て含まれるのだろうけれど解き明かされたらみんながみんな友達が増えるわけでもないので多分誰もこの先解き明かそうとはしないではないだろうか。研究はするけれど。

 

友達の数がその人の世界の広さと比例することをはっきり誰も言わないが小学生が教わる童話にもあったり、いろんな大人が友達を作れ!大事にしろ!増やせ!と言ってくる。作って増やした結果どうなるのかは誰も言わない。

 

貯金の考え方に似ていると思う。

 

世の中には将来に対する漠然な不安に向けて金さえあればなんとかなるからとコツコツ貯金してる人はたくさんいるだろう。すごいと思う。というかとてもじゃないけどできない。

 

私は将来何に使うかも決めてないのに漠然とお金を使うことができない。お年玉も毎年三が日で使い果たしてた。

 

だって欲しいものがあってそれを買うお金があるから。ほかに理由がない。その瞬間に欲しいと思ったもの以上のものはその時には存在しない。それ以上のものが出なかったら買わなかったことを一生後悔する。

 

明日死ぬかもしれない。一週間後死ぬかもしれない。警察がいて信号があってどんな施設もセキュリティがしっかりしていても絶対に死なないとは断言できるはずがない。

 

ゴキブリだって出て来た瞬間まさか叩き潰されるとは思ってない。

 

話が逸れたがつまり貯金とは死なない前提でこの先使う目的はないけど漠然な不安があるからキープしておこうというものだ。

 

まとめると私は友達が少ない上に貯金もできない。漠然とした未来への投資ができないのである。あとあと生きてくるんだと何回言われたことか。今ですら満足に生きていない私にとって酷なことだ。

 

友達は少ない方がいいだとか貯金しないでどんどんお金使う方が働き甲斐があっていいだとか言い訳するつもりもなく、そもそもできないのだ。

 

友達が少なくていいメリットは友達が多いメリットが周りを囲んでいる。

友達が多くできる人は浅く広くなんてことはありえない。全員に深くできるから友達が多いのだ。例えば友達は少ないけどなんでも話せるメンツがいれば他はいらないなんて思ってる人がいたとすればそれは大きな勘違いだ。友達が多い人はそのなんでも話せるコミュニティをいくつも持っているということで、悩みがあったとしてもより多角的な意見を聞ける。羨ましい。

そんな幸せなことがあるだろうか。悩みなんてないんじゃないかとさえ思う。

 

貯金も同様でお金があればいくらでもどうとでもその時にできるのだから幸せだと思う。

 

誰も言わないが幸せとは友達が多くて金がある人が受けられる恩恵である。そして自分では自覚できない。幸せとは評価であり、周りが見て決まることだからだ。

 

なんでこれを誰も言わないかといえばほとんどの人がそれを自覚していないのか、片方か若しくは両方が欠落しているのか、本当は分かっているけど今は内面の満足度の時代であって凝った趣味とか好きなものに没頭するのが幸せだとかほざいて自分に言い訳しているんだろうと思う。

 

ここまで書くと如何に自分が馬鹿かわかってくる。こんなことを今日電車の中で考えていて叫びそうになった。